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泣いた!10日間目を合わせたり話したりする事が出来ないヴィパッサナー瞑想体験談

ヴィパッサナー瞑想

「ヴィパッサナー瞑想」を知ってますか?

多分多くの方が初めて聞いたかと思います。

世界には多様な瞑想法があるので、その中の一つだと思ってください。

決して宗教的な、またはある種の信仰によるものではありません。

この瞑想法は2500年前にブッタが広めた瞑想法でブッタはこの瞑想法によって悟りを開きました。

 

僕が初めてこれを知ったのは2012年ネパールやインドを旅していた頃。

知り合った日本人バックパッカーの多くからこのヴィパッサナー瞑想の話を耳にしました。

そして2014年6月24日~7月5日までの12日間、僕はこのヴィパッサナー瞑想を受けて来ました。

そこで32年間体験した事のない体験をしたのでその全てをここに書き残します☆

 

始めに言っておいた方がいいかな・・・

これからヴィパッサナー瞑想を受けようと思っている人は読まない方が良いかもしれないです・・

 

この瞑想法は100人受ければそれぞれみんな違った体験をします。

ですので体験談を読む事でこれが先入観となり、初めてこの瞑想法を受ける時にそれが邪魔になってしまう可能性があります。

なのでそれでも読もうと思う方は「これは100人のうちの1人が体験した事であり、自分はまた全く別の体験をするもの」と思ってください。

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目次

ヴィパッサナー瞑想とは?

インドやネパールで知り合った日本人バックパッカーからどんな事を聞いたのか、まとめると以下の通り。

・10日間誰とも話してはいけない
・10日間誰とも目を合わせてはいけない
・10日間字を読んだり書いたりしてはいけない
・毎日4時に起床し9時に就寝
・毎日12時間瞑想する
・食事は午前中のみ
・食事はベジタリアンメニュー
・これをきっかけにベジタリアンになった
・無料で受けれる(寄付の受付あり)
・瞑想中感動して泣く
・朝日を見て感動して泣く
・虫と目が合った事に感動して泣く
・人生が変わった

などなど「そんな辛いの嫌だ」と思う気持ちもあったけど、同時に深い興味、感心を覚えた。

それから2年、やはりこの事が忘れられずヴィパッサナー瞑想のホームページを開いてしまった・・

 

この瞑想は世界各国145箇所のセンターで受ける事ができ、日本では京都と千葉にセンターがある。

世界中どこで受けても同一のプログラムで、指導は録音された音源で行なわれる為、内容が異なる事はない。

音源は、ヴィパッサナー瞑想の最も重要な指導者として広く認められている「ゴエンカ師」の声(パーリ語)で行われる。

各センターには各国の翻訳された音源も用意されている。

なので旅の途中にどこかの国で受ける事も出来たんだけど、こういうのを後回しにすると結局やらずに終わってしまうので旅の始まりにあえてこれを受けてみる事にした。

 

ホームページから予約を済ませその日が来るのを待つ。

そしていざ当日。

ヴィパッサナー瞑想初日

僕が申し込んだのは京都のセンター。

旅の出発時は実家の横浜に居た為、千葉の方が近かったんだけど

「瞑想」つったら「京都」じゃね?

みたいな安易なノリで京都にした。

 

京都駅から電車に乗って約40分、「園部駅」で下車。

そこから路線バスに乗って約50分、「桧山バス停」で下車。

そこからセンターに電話をして迎えに来てもらう。

電話をしようと思ったら同じバスの中に他4名の参加者がいたので代表して僕が電話をした。

 

送迎ワゴンが来てそれに乗って約20分でセンターに到着する。

送迎ワゴンで迎えに来てくれたのはスタッフの方ではなくて僕と同じ生徒だった。

同じ京都のセンターでもう5回目の参加との事。

30代半ば位で坊主頭だった。

その方が運転をしながら言った。

「これから一切喋れなくなるから今のうち喋っといた方がいいですよ」

すると30代位の女性の方が

「やっぱりこういうとこのスタッフの方って坊主なんですね?笑」

と聞いた。すると

「この瞑想を受ける前はドレッドで腰まで髪がありました」

「瞑想を受けて人生が変わったんです」

との事。それに対し

「どう変わったんですか?」

っと突っ込む女性・・w

「それはその人次第です。とにかくまー体験してみてください。やれば分かります」

「あと、本気で瞑想した方が良いですよ」

との事。

本気で瞑想…

到着前になんとも意味深で期待させる話を聞いてしまった。

 

センターは蒸し暑い京都市街に比べ、少しひんやりとし、ウグイスなど野鳥の鳴き声が響き渡るとんでもない山奥だった。

初日は遅くても17:30までに受付を済ませなければならないとの事。

 

ギリギリに到着し、まず財布や携帯電話、書物など戒律で禁止されている物を全て預ける。

それから戒律やプログラムの説明を受け、戒律を守る事、絶対にコースの途中でリタイアしない事などを誓う誓約書にサインをする。

冒頭に書いた戒律に加え以下の事を守らなければならない。

・男女は隔離されいかなる接触も許されない
・不純な性行為は禁止(おそらく自慰の事を言いたいのだと)
・匂いの強いシャンプーや化粧品は禁止
・膝の見える服や身体のラインが分かる服は禁止
・ヨガ、筋トレ、ランニングなどの運動は禁止
・センターの外部に出る事は禁止

 

プログラムは以下の通り。

午前4時~4時30分:起床
午前4時30分~6時30分:瞑想
午前6時30分~8時:朝食と休憩
午前8時~9時:グループ瞑想
午前9時~11時:瞑想
午前11時~13時:昼食と休憩
午後1時~2時30分:瞑想
午後2時30分~3時30分:グループ瞑想
午後3時30分~5時:瞑想
午後5時~6時:ティータイムと休憩
午後6時~7時:グループ瞑想
午後7時~8時30分:講話
午後8時30分~9時:グループ瞑想
午後9時~9時30分:就寝

上記のように1日12時間もの瞑想を行う。

グループ瞑想時は「ゴエンカ師」の録音テープが流れる。

 

これらの、説明を含めた受付を全員が済ませたところで夕食が出される。

麺と麺がペタペタにくっついた、お世辞にも美味しいとは言えない蕎麦。

これから始まる質素な食生活を連想するにはちょうど良かった。

その後、ボランティアスタッフの紹介や瞑想法についての説明などを聞き、さっそく瞑想ホールで1時間ほど初めての瞑想を行う。

 

瞑想ホールは前方中央に先生が座り、向かって左側が男性、右側が女性と別れている。

先生は男女2名、エドワード先生と順子先生。

その脇にはそれぞれボランティアスタッフ男女各5名ほどが座る。

そしてその手前に今回参加する生徒、男女それぞれ約30名ほどが座る。

この時に戒律を守る誓約を再度行う。

以降、生徒同士はもちろん、先生やボランティアスタッフとの会話も一切禁止される。

これを「聖なる沈黙」と呼ぶ。

 

10日間というのは初日を除いた翌日から10日間になる。

体調不良など、どうしても仕方がない時にはボランティアスタッフをまとめるコースマネージャーに話を聞いてもらう。

なんとも言えない緊張感とこれから始まる10日間に対する皆の不安な気持ちがホール全体に漂う。

瞑想中は目をつむり、足はあぐら。

早速この状態でじっとしている事の辛さを体験する。

膝、腰、背中、首、身体の各部が痛みだし、ホール内には痛みを和らげる為にあーでもない、こーでもないと体勢を変えた時に出る音が響き渡る。

「カーン」と言う鐘の音が3回鳴る。

そう、コース中は全てこの鐘が合図となる。

朝4時の起床、夜21時の就寝の知らせ。
瞑想中であれば休憩の知らせ。
休憩中であれば瞑想の知らせ。

 

初日は初めて聞くこの鐘の音が就寝を知らせる音だった。

用意された自分の部屋に行き布団を敷いて就寝。

僕の部屋は外人さん1人を含む4人部屋、4枚の布団を敷くと足の踏み場もない位狭い部屋だった。

他にも8人部屋などいくつかの部屋に分かれていた。

瞑想ホール内は男女一緒だが宿泊施設や食堂、歩いたりする事の出来る芝生のエリアは完全に隔離されていた。

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ヴィパッサナー瞑想2日目~5日目前半

朝4時、鐘の音と共に起き洗面を済ませると早速4:30から2時間ほど瞑想ホールで瞑想を行う。

誰かが起こしてくれる訳でもない。

寝坊して部屋で寝ていても、聖なる沈黙の為、誰も起こしてくれない。

早朝の瞑想は朝食前とあってかなりキツい。

腹も減るが睡魔も容赦なく襲ってくる。

正直、瞑想してる風に見せて寝てしまう事も出来る。

先生やボランティアスタッフも全員が瞑想する為、誰も注意してくれないのだ。

とにかく自分との戦い。

 

この瞑想法をものにしようと思ったら

1に忍耐、2に忍耐。

3,4も忍耐、5も忍耐。笑

 

坊主の方が言っていた

「本気で瞑想した方が良いですよ」

その言葉が脳裏に浮かぶ。

 

鐘が鳴り休憩、また鐘が鳴り瞑想。

それが夜までひたすら続く。

休憩時間中は手洗いだが洗濯も出来るし、シャワーも浴びれる。

また、水や冷茶、ほうじ茶は飲み放題。

芝生のエリアを歩いたりする事も出来る。

眠ければ部屋で寝てても良い。

とにかく戒律さえ守ればあとは自由。

 

毎晩19時~20時までは「講話」の時間。

とは言っても「ゴエンカ師」の話を翻訳した音声を聞く。

内容は瞑想法について、ブッタについて、その他諸々が録音されている。

しかし時に録音とは思えない話をする時がある。

 

例えば

「瞑想中あまりの身体の痛さに薄目を開けて周りを見渡し、仏像のように固まって座っている他の生徒を見て”自分も耐えなければ”っと思ったりしていませんか?」

とか

「夜ご飯が食べれないので昼に夜の分まで食べてやろうと腹一杯食べていませんか?」

とか

「こんな事してて意味はあるのか?途中で帰ろうかな?などと思っていませんか?」

など、全て図星をつかれてビックリする。

やはり考えている事は皆同じなんだろう。

 

そんな毎日が続き5日目(沈黙が始まって4日目)になった。

ここまで瞑想する時に言われていた事はただ一つ。

“自分の呼吸を客観的に観察し続ける事”

呼吸を観察するとは一体なんなのか?

静かなところで目をつむってみてもらえれば分かるが、目をつむり無になる事はそう簡単には出来ない。

いくら集中して無になろうとしても、気が付くと何かを考えていたり、何かの映像、イメージが浮かんで来たり、心の中で何かを喋っていたりまたは聞こえて来たりする。

心の中で数を数えていたりすればそれだけに集中する事が出来るがそれは無とは言えない。

しかしそれらから分かるのは何かに意識を集中していれば徐々に心の波が安定し無に近づく事が出来る。

その意識を集中させる先を、4日目までは呼吸にしているのだ。

 

生きている限り呼吸を止める事は出来ない。

それをひたすら観察し続ける。

具体的にどういう事かと言うのを流れるゴエンカ師の音声通りに説明するとこうだ。

「上唇を底辺とした小さな三角形だけに意識を集中させなさい。」

「左の鼻の穴の入り口からその奥、右の鼻の穴の入り口からその奥、または鼻の穴の下から上唇まで、そこを通る空気の流れを観察し続けなさい。」

「それでもいつの間にか意識が別の場所に行ってしまう事でしょう。その時はなるべく早く呼吸を観察する事に意識を戻しなさい。」

この5日間それだけを言われ続けて来た。

それ以外の事は何も言われず、本当にただそれだけを言われ続ける。

息を吐けば鼻の穴を通って流れていくのが分かるし、息を吸えば鼻の穴を通って入っていくのが分かる。

意識も集中出来るようになり、次から次へと思考が移ろう事もなくなった。

 

けど、だから何だと言うのか?

それが疑問でその先が見えず

「やっぱり俺には瞑想なんて向いてない、こんな座り続けて何が楽しいか」

「美味いもん食って酒を飲んで友達といる方が楽しい」

そんな風に思い始めていた。

 

瞑想中、先生に4名ずつ呼ばれ質問を受ける事がある。

先生は日本語がまだあまり得意ではなくカタコトの日本語で

「鼻の穴を通る呼吸の流れがワカリマスカ?意識は集中デキテイマスカ?」

と聞かれる。

その時だけは喋る事ができ、自分の答えを返す。

「はい、流れるのが分かります。集中も出来ています。」

「ソウデスカ、ヨカッタデス」

 

しかしこれがどうも分からない人もいるようで

「鼻の穴に意識を集中しても何も感じません」

と答えている。

え?どんだけ鈍感なんだ?と思ってしまった。

俺は鼻毛が伸びてるから分かりやすいのかな?

とか、俺は鼻の下にヒゲがあるから分かりやすいのかな?

とか、このせいで無駄な思考が生まれた。

 

また、こう答えている人もいた。

「はい!凄い感じます!鼻に流れる血流がとても熱いのを感じます!」

と、彼は興奮して話していた。

僕はそれを聞いて吹きそうになった笑

そんなアホな!何を言ってるんだこの人は?って・・

しかしこのあと、この人の言っていた事を理解せずにはいられない現象が自分に起こった。

ヴィパッサナー瞑想5日目後半~11日目前半

5日目の確か15:30~の瞑想の時だった。

普段この時間の瞑想ではゴエンカ師の音声は流れないんだけど、この時間は音声が再生された。

すると、ここから少し瞑想法が変わるとの事。

厳密に言うとこの時間までやっていたのは「アーナーパーナ」という瞑想法で、これから始まるのが「ヴィパッサナー瞑想」らしい。

ヴィパッサナー瞑想を始める前に集中力を養う事を目的に「アーナーパーナ」がある。

 

ここまでの指導(音声)では姿勢の事や瞑想中に身体を動かす事について何も触れて来なかったんだけど、突然

「背筋を伸ばし足や手を開いてはいけません。そして瞑想を一度開始したらピクリとも動いてはいけません」

「痛くても、痒くても、くすぐったくても、痺れを感じてもいかなる場合でも身体を動かしてはなりません」

と指導される。

 

それまでザワザワ、ザワザワと皆の身体を動かす音が頻繁に聞こえていたんだけど、この瞬間からは一切聞こえなくなった。

聞こえるのは鳥の鳴き声、たまに聞こえる咳払いや鼻をすする音だけ。

4日目位までは皆のお腹の音がグーグーと響いていたけど、身体が規則正しい食生活に順応した為かそれも聞こえなくなっていた。

 

そして指導は次のように続く。

「鼻の下にある意識を頭のてっぺん2cm四方以内に移動させなさい。」

「そしてそこを流れる空気、感覚を観察しなさい」

どういう事かサッパリ分からなかった。

しかし指導はそのまま続く。

頭のてっぺんの意識を頭の横、後ろ、前へと移動させ、次は顔、首、肩…

というようにつま先に向かって意識を少しずつ移動されろ、と言うのだ。

 

頭に意識を集中させても、さっぱり何の事か分からず何の感覚も起こらなかった。

しかし、ひたいに進んだ時に、何かピリピリと感じた。

次に顔へ。なぜか汗が右頬を流れる感じがした。

身体を動かして汗を拭う事は出来ないので本当に流れていたのかは分からない。

そして頬へ。またピリピリとくすぐったいような、痒いような謎の感覚が襲った。

いきなり身体をピクリとも動かすなと言われ「その辛さに身体が反応しただけだろう」ここまではそう思った。

 

しかし意識を胸にやると、呼吸の度にTシャツと肌が触れ合う感覚をとても敏感に感じた。

そして肩。胸ならまだ分かるが肩までも呼吸の度に触れ合うのを感じる。

そして腕。腕にとても熱い何かを感じた。

そして手。指先までピリピリという感覚が走り、軽く握っていた指が勝手に開いていくのが分かった。

この時に自分がこれまでの人生で体験した事の無い新たな感覚に気付いているんだ、と言う事を信じるしかなかった。

 

さらに意識を他の部位へと移動させる。

始めのうちは極めてゆっくり、ゆっくりと意識を移動させないと上手く感覚がついて来ない。

この時にイメージしていたのはスポットライト。

自分を照らすスポットライトがゆ~っくりと他の部位へ移っていく…そんな事をイメージしながらやってみた。

すると次へ次へと意識を集中させた部位のみに様々な感覚が起こる。

時にはその部位が「ビクン!」っと飛び上がるような激しい感覚が起こる事もあった。

 

意識を集中させる事によって神経が研ぎ澄まされ、普通なら気付く事の無い自分の身体に起こっている無常な現象に気付く事が出来るようになったのである。

そしてその事に気付いた瞬間、全身が熱くなって涙が込み上げた。

 

こういった体験をこの5日目で出来た人もいればもっと後半になって出来た人もいる。

また、全く別の体験をする人もいる。

 

ある女性は突然「ハ~!ハ~!」と声を荒げて立ち上がりトイレに向かおうとして「バタン!」と倒れていた。

 

ある男性は過去の色々な体験を巡り涙が止まらなくなったと話していた。

 

またある男性はマツコデラックスや関西弁の小さなおじさんが自分を応援してくれたらしい。(爆笑)

(コース終了後談)

 

とにかく、タイミングは別として5日目後半~11日目にかけて、今まで体験した事の無い何かを体験したという人がほとんどだった。

様々な戒律や5日目前半までの呼吸の観察はこれらを体験する為の準備体操のようなものなのだろう。

 

人は「何かを見たい、聞きたい、触りたい」など外へ外へと意識を向けるもの。

自分の身体で何が起きているかなんて事は通常考えようとしない。

よほど痛みなどかあれば別だけど。

それを徹底的に観察するというのがこの瞑想法だ。

 

身体に起こる様々な現象…痒み、痺れ、痛み、それらは放っておけば消える、無常の現象。

それと同じように自分の潜在意識、心の深い部分に溜まっている怒り、妬み、憎しみなどの嫌悪な感情もやがては消える無常の現象。

どちらも自分の身体の内部に起こる無常の現象であり、これらにその都度、反応すること無く客観的に観察して常に自分の心を平静に保ち続ける…これがこの瞑想の真意だ。

 

嫌な事があった時、いつまでもそれを気にし続ける。

するとそれを気にしていた時間全てが不幸な時間になる。

 

嫌な事があっても、それはやがて消え去る、それが自然の摂理。

だったら初めからいちいち気にしたりせず平静を保てば良い。

 

そんな事は簡単に出来ないだろうが、瞑想を極める者はそこに辿り着くのだろうと思う。

様々な欲求、渇望も時間が経てばやがては消え去る無常の現象。

これもまた初めからそんなものを求めなければ良いのだろう。

 

こうして書くのは簡単だけど当然12日程度の修行ではそこまで辿り着くのは無理だ。

ひたすら修行を続ける必要がある。

 

僕は基本的に自分で見たものや体験した事しか信じないタイプ。

例えば霊感、オーラ、占いなど一切信じていない。

そういった話を聞くとイカサマだろ!っと思う事も多くある。

が、この体験をしてから、生まれつきもしくは何らかの経験を得た「極一部の人にしか感じる事の出来ない特別な感覚」はこの世に存在するものなんだと思えるようになった。

でなければ瞑想や坐禅といった考えが何の意味も持たず、何も得ることが出来ないものだったら何千年も昔から現在まで続く訳が無い。

 

という訳で5日目後半~11日目に向かうにつれて、どんどん集中力が高まり自分の感覚が研ぎ澄まされていった。

かなり辛いけど2時間ピクリとも動かずに瞑想する事も可能になった。

1時間であれば余裕で出来るようになっていた。

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ヴィパッサナー瞑想11日目後半~最終日

聖なる沈黙は11日目の午前9:30頃(沈黙が始まって10日目)に解かれる。

最終日の12日目まで聖なる沈黙が続くと思っていたので予定外だ。

 

最後の瞑想の終わりを告げる鐘が鳴り、瞑想ホールを出る。

すると「お疲れ様でした~。どうでしたか~⁈」っと沈黙から解放された皆が一斉に声を掛け合う。

突然の解放に戸惑う人もいれば、話しまくる人もいる。

共通して言えるのは皆が笑顔で安堵の表情で満ち溢れている。

(そりゃーこんな修行をした後なら当然かもしれないけど…)

 

そのあとは数時間の瞑想があるものの、残りは全て休憩時間となりお喋りは自由となる。

突然の解放に戸惑うこと無く社会復帰する為の時間という事らしい。

ただ、瞑想ホールや宿泊棟では沈黙を守らなければならず、男女の隔離も続く…

 

ようやく11日間も自分と同じ部屋で寝ていた人としっかり顔を合わせ話す事が出来た。

この11日間、人の首から上を見ないようにしていたので、服装や雰囲気で同室の人だという事は判断出来た。

フランスから帰国したばかりで20代半ば愛知在住のパティシエ。

仕事を辞めて何をするか考え中の大阪在住の34歳。

そしてもう一人の外人さんは残念ながら5日目で突然姿を見なくなったので、おそらくリタイアしたのだろう。

 

北は北海道、南は長崎まで年齢も20代前半から40代後半まで、色々な人が参加していた。

この11日目に色々な人と話せた事は本当に良かった。

旅中に知り合う人と同じように、普段の自分の生活では絶対に知り合う事の無いような人と知り合い話す事が出来る。

出会った人の数だけでも人は成長すると思うけど、人は自然と自分に似た人ばかりと仲を深めるものなので、こういう機会はとても良いものだと思う。

 

そして最終日、いつも通り4:30~6:30までの瞑想が終わると、これで全てのプログラムが終了となる。

預けていた物を返却してもらい、寄付が出来る人は寄付を済ませ、荷造りをし朝食を食べ部屋の掃除を済ませる。

理由のある人はこれでもう解散となる。

そうでない人は8:00~9:00位までセンターの大掃除を手伝う。

瞑想ホールに食堂、キッチンやトイレ、シャワールームに外周りの草むしりまで。

そうして近くのバス停まで順に送ってくれる。

バスの中、電車の中でもお互いの事を話し合い、最後に仲良くなったメンバーで京都駅のラーメン屋に行った。

いっさい油や肉を口にしていなかったので、あっさりした塩ラーメンにしようと意見一致。

久々のラーメンに幸せを感じ、みな帰路についた。

気になるご飯について

朝食は白米or玄米orお粥orパン。

塩、ペースト状の黒ゴマ、超塩分の効いた梅干しなどで自分流にアレンジ出来る。

パンはトースターで焼く事ができ、バターにオレンジ、ストロベリーのジャムがある。

 

昼食は白米or玄米に加えサラダやスープ、おかず一品が付く。

おかずはキャベツの胡麻和え、ひじき、豆腐、八宝菜風のもの、おでん、おでんをスープにしたもの、トマトソースのパスタ、トマトソースのパスタをスープにしたもの、トマトソースのパスタをグラタン風にしたものなどなど…

おそらく残飯を出さない為に残った食材が無くなるまで似たものが続く。

 

夕方のティータイムではバナナ1本とリンゴ半分、オレンジ半分程を食べる事が出来る。

量の制限は無いが、他の人の分が無くならないように自分で考えて盛る。

 

11日目の聖なる沈黙が解かれた後の昼食はなんとカレーが出る。

これにはみんなテンションが上がっていた。

もちろん肉はダメなので豆腐カレーだけど…

最終日の朝食も…もちろん残ったカレーが出る。笑

すごい美味しい、とまではいかないけど十分に満足出来る食事だった。

ヴィパッサナー瞑想を終えて最後に

こんな長い体験談を読んで頂いてありがとうございます。

興味持って頂けましたか?!

それとも絶対嫌だ!と思いました?笑

 

参加した事のある人はあの12日間を思い出せました?!

参加した事のある人は当然分かると思うんですが一切memoとかをとれる訳でないので、若干内容に差異があるかもしれませんがそこはご容赦ください・・。

 

ここに書いた事がなんか胡散臭いなーと思った人もいるかと思います。

それはそれで良くて信じなければ良いと思います。

自分もそうだったから。

けど、やってみれば分かります。

 

信じられない事をそのままにしておくのも良いし、やれば分かるんだからやって確かめてみるのも良いし。

もし何も得られなければ寄付をしなければお金は無駄にならないし。

時間は12日間も消費するけど、それ以上のものを得る事が出来ると思います。

“本気で瞑想すれば”ですが。

 

ここまで書いてどうかと思うんですが、もう一度参加したいか?と聞かれたら答えはNOです笑

もういいです笑

 

仏陀の道を歩み悟りを開くのも良いかもしれませんが、僕は人間らしく一喜一憂し欲望も嫌悪も共存する中で出来る限り平静で澄んだ心を持てるようになれれば良いかなと思います。

まあ一つこんな世界もあるんだよ、と言う事をみんなに伝えたく書いてみました。

また何か面白い体験をしたらこういうの書こうと思います。

 










 

 

関連記事

  1. 貴重な経験、されましたね。
    12日間、よく頑張りましたね~✩
    そうですね。こういった超常現象?的な類は
    やはり自分で経験してみないと
    信じられないものだと思います。

    瞑想CDを使った誘導瞑想みたいなものは
    しばらく試してみた事がありますが
    毎回途中から、いつの間にか寝てしまい(笑)
    向いてないらしい。。。と思って以来
    手は出していません、です。(^^;)

    • こずえ
    • 2015年 1月 23日

    こんにちは。こずえと申します^ ^
    以前京都のヴィパッサナーいったことがあり今日
    なんとなくヴィパッサナーのこと思い出して、
    もう一度いこっかなーと検索したら1番最初にこの記事が出てきたから読んでみると、まさかのまったく同じ期間に京都のヴィパッサナーを体験していたのでびっくりしながら読み進めました。

    詳しくわかりやすくて正直な文章でいいかんじに心に入ってきました^ ^
    私にとってあの経験は大切なものになったので、お話しなくても勝手に仲間だと思って親近感わいてコメントしましたw
    世界旅行をされているんですね、すげー。
    瞑想を通して、どこにいても目を閉じれば自分に帰ってこれると思ってます。
    もし世界のどこかで孤独を感じたらぜひ瞑想を*\(^o^)/*
    といいつつ、今日も瞑想のかわりにお酒を飲んでる私です。笑

    • まったく同じ期間ですか?!それはすごい偶然ですね☆
      僕もどちらかと言うと瞑想代わりにお酒です笑
      が、あの時の体験は一生忘れません。
      世界の旅にも興味がありましたら、是非またブログ読んでくださいね☆
      コメントありがとうございました。

    • 2017年 8月 15日

    今年、千葉で体験しましたよ!書かれていること、すごくよくわかります。
    あと○日、と帰れる日を指折り数えていました。すごく辛くて長く感じたので、もう一度は確かに躊躇します。
    2時間ぴくりとも動かないのはすごいですね。私は1時間が限界でした。
    普通に生きていては決して味わえない、特別で貴重な感覚を味わい、体験し、人生が変わるくらい本当によかったです。
    (というわりに5万円しか払いませんでしたが)
    本当に、これは自分で体験するしかないですよね。いくら理論や言葉を読んでも本当に意味がない。
    ちなみに正しくはゴエンカ「師」ですね。
    古い記事へのコメント、失礼いたしました。

    • Toshiko
    • 2018年 5月 29日

    はじめまして。とてもわかりやすい文章で、心に響きました。涙が出た、というところは、素直に感動しました。

    私は、以前コロラド州で10日間のコースに参加しました。どちらかというと、美味しいお酒と食べ物と友人たちと、めいっぱい楽しむ生活がいいんですが、最近になって、魂が震えるほどの奇跡的な感動体験をしました。それも、ヒマラヤの山奥の村で出会った人に教えられて。

    今頭の中がたくさんの疑問でいっぱい、心の中が喜びと哀しみと感動といろいろな感情がいっぱいいっぱいで、ここはひとつまたメディテーションへいかなくては、と思って検索していたところです。

    私は住所は米国にあるホームレス(に該当)です。現在母の世話のため日本に滞在していますが、世界の国々を40年以上にわたって、旅して、住んで、働いて、ボランティアもして移動してきました。乗る予定だった飛行機が墜落したり、建物が崩壊したり、濁流に投げ出されたり、ホールドアップされたり、人質や誘拐、転落などなど、もう、あわやのところでいつも助かっていて、何か生きていなくてはいけない課題があるんだと常々思っていました。その大きなヒントに今回ネパールで巡り合い、人生のこんなところにこんな感動が、それに今後の課題が待ち受けているのかと衝撃を受けているところです。来週、そのヒントをくれたヒマラヤの住人とバンコクで会って、一緒にヴィパサナへ行ってきます。
    人生どこでどうなるか、まるで自分の映画を見ているようです。

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