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アパルトヘイトが残した悲しい現実。今も残る黒人居住区に行ってみた。

南アフリカの黒人居住区

2015年4月14日。ケープタウンでレンタカーを借り、喜望峰へ。

ボルダーズビーチ、喜望峰までは前回までの記事で紹介した通り。今回は喜望峰からケープタウンまでの帰り道に立ち寄った黒人居住区を紹介します。

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目次

 アパルトヘイト政策(人種隔離政策)

黒人居住区というものが何なのかを説明する前にアパルトヘイト政策を理解しなければいけないので先に説明しておきます。

理解しているよー!って人は次の見出しまで飛ばしてください!

以下、ウィキペディアより引用。

アパルトヘイトとは、アフリカーンス語で「分離、隔離」の意味を持つ言葉で、特に南アフリカ共和国における白人と非白人(黒人、インド、パキスタン、マレーシアなどからのアジア系住民や、カラードとよばれる混血民)の諸関係を規定する人種隔離政策のことを指す。

 

一言で言えば人種隔離政策の事。

 

じゃーその政策って実際にどんな政策だったのか?

あり過ぎて全てを書くことは出来ないので、分かりやすいものだけをいくつか紹介します。

 

・選挙権は白人だけ

・人種の違う男女が結婚することは禁止された

・黒人は白人が経営する農園や工場で働き、白人は黒人の6倍~21倍の給料を得ていた

・白人と黒人の居住区や生活圏を法律でハッキリと分けた

・黒人は約2500万人、白人は490万人程度であった

・白人居住区に入った黒人はもちろん、黒人居住区に入った白人も厳しく罰せられた

・白人生徒一人当たりの教育予算は、黒人生徒の10倍だった

・黒人だけ義務教育ではなかった

・黒人の教育を低レベルなものへと押しとどめる「バンツー教育法」が成立

・共学(男女共学ではなく白人と黒人の共学を指す)は禁止された

・バスは黒人用、白人用で分けられ、停留所も別にされた

・公衆トイレ、公園、映画館、レストラン、ホテル、電車、、、公共施設はすべて白人用と白人以外に分けられた

・病院も不十分な施設しかない黒人用と施設の整った白人用に分けられた

・白人専用の施設に立ち入った黒人はすぐに逮捕された

 

これだけ挙げてもほんの一例。

非白人は無数の法律によって日常生活の隅々まで差別されていたのです。

 

しかも・・・

「南アフリカにはたくさんの民族が住んでいて、それぞれ違う伝統や文化、言語を持っている。それぞれの民族が独自に発展するべきだ。アパルトヘイトは差別ではなく、分離発展である

というように「多文化主義による合理的な政策である」と主張されていました。

 

ちなみに日本人は・・・?

南アフリカの大きな貿易相手であった日本人は

名誉白人」として差別待遇を免ぜられていたそうです。

 南アフリカのタウンシップ(黒人居住区)って?

上に書きましたが、アパルトヘイト政策によって黒人は住む地域が決められていました。

産業地盤の乏しい限られた地域に押し込められていたのです。

 

この地域の事をタウンシップと呼びます。

 

ヨハネスブルグ近郊のソウェトが一番有名ですが、

南アフリカの中にはこういった地域が無数に存在します。

 

だいぶ前置きが長くなってしまいましたが、喜望峰の帰り道にたまたまこのタウンシップを見つけ、立ち寄って見る事にしたのです。

 

次の写真がその入り口の写真。「RED HILL」と書かれていました。

ケープタウンの黒人居住区

 

周りにはなーーーんにもありません。山の中にポツリとこの地域が存在するので車で走っていれば絶対に気付きます。

南アフリカの黒人居住区

 

バラックが所狭しと立ち並び、静かでちょっと近寄りがたい雰囲気。

南アフリカの黒人居住区

 

今考えれば、ずいぶん危ない場所に行ったなと、そう思います。

ケープタウンの黒人居住区

 

別に何かあった訳ではないんですが、歴史的背景を考えれば軽い気持ちで行くところではないですよね。。。

ケープタウンの黒人居住区

 

「タウンシップツアー」と言ってしっかりガイド付きで行く事もできますので、ガイドを付けて行く事をオススメします。宿などで申し込み可。

このツアーは先ほど紹介したヨハネスブルグ近郊のソウェトでも催行されているので、このあとヨハネスブルグでツアーに参加する予定です。

ケープタウンの黒人居住区

 

このブログを見て軽い気持ちで「行ってみよー!」ってならないでくださいね。なので今回はあえて場所は書きません。

南アフリカの黒人居住区

 

でも僕らが行った時は、危険な事は何もなくて、ガイド付きで行く観光化されたタウンシップでは感じ取れない雰囲気を体感できたと思います。

 

ちょっとビビッた事と言えばヤンチャな子供達に車を囲まれた事くらいかな?汗

南アフリカの黒人居住区

 

普通に可愛かったですけどね。

 

このアパルトヘイト政策は1991年にネルソン・マンデラの活躍で撤廃が決定。

ネルソン・ホリシャシャ・マンデラ

南アフリカ共和国の政治家、弁護士である。

若くして反アパルトヘイト運動に身を投じ、1964年に国家反逆罪で終身刑の判決を受ける。

27年間に及ぶ獄中生活の後、1990年に釈放される。

翌1991年にアフリカ民族会議の議長に就任。

デクラークと共にアパルトヘイト撤廃に尽力し、1993年にノーベル平和賞を受賞。

1994年、南アフリカ初の全人種参加選挙を経て大統領に就任。

民族和解・協調政策を進め、経済政策として復興開発計画を実施した。

1999年に行われた総選挙を機に政治家を引退した。

ウィキペディアより

 

しかしそれから24年が経った今も、こうしてここでしか生活を送る事が出来ない人がたくさんいるんですね。

以上、南アフリカのタウンシップ(黒人居住区)についてでした。










 

 

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    • 匿名
    • 2017年 9月 17日

    驚きました。昔々の歴史話かと思って読んでたら
    撤廃されたのは私が産まれた年だなんて…
    第九地区という映画を見てアパルトヘイトってなんだっけ?って思って調べに来た大バカものです。習ったはずなのになんで忘れてたんだろこんなひどいこと

    • 登録番号810番
    • 2020年 6月 14日

    日本人が名誉白人としての待遇は居住区くらい

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