9Apr
前回の記事で紹介したルワンダ虐殺の舞台「ホテル・ミル・コリンズ」や虐殺に関する様々な資料が展示されている「キガリ虐殺記念館」
これらに続きもう1つ行っておきたい場所があった。それがタイトルの「ムランビ虐殺記念館」
首都キガリからここへ行く為には、バスで約2時間半ほどのフイエ(旧名ブタレ)※へと向かう事になる。そこでバスを乗り換えさらに1時間半ほどのニャマガベ(旧名ギコンゴロ)※へ。そしてさらにバイタクに乗って15分くらい走ったところに「ムランビ虐殺記念館」はある。
※数年前にブタレ→フイエ、ギコンゴロ→ニャマガベと地名が変わった。現地ではどちらでも通じるがgoogle mapは旧名のままなので注意
目次
フイエ(旧名ブタレ)の街並
キガリのニャブゴゴバスターミナルからフイエ(旧名ブタレ)行きのバスは満席になれば出発するので予約等は必要なかった。(2500フラン=435円)
2時間半程でフイエに到着するが、とくに宿の事を調べていなかったのでバイタクの運転手に安いホテルに行くようにお願いする。
そして着いたのがここ「MOTEL DU MONT HUYE」??
ツインルームのシングルユースが8000フラン(1394円)との事。無駄に広い部屋。まーまー綺麗。日当りは抜群。シャワーは水。
Wi-Fiはなかったので目の前にある高級ホテル「Hotel Credo」のレストランで利用した。めちゃめちゃ遅かったけど。そこで朝食セット(2000フラン=348円)を注文。
パンの上にパンが乗って、さらにその上にパンが乗って、さらにその上にパンが2つ乗るという
パンパンパンパンパンの超シンプルな朝食。
卵とか・・ベーコンとか・・いやいやそんな贅沢は言えないよ。
せめてトーストを焼いてくれるとか・・ジャムを付けてくれるとか・・・
って思ってたらパンが最後の1つになってからジャムが来たからね!!
写真を撮ろうとしたらキャンドルの配置を整えてくれたりとか・・そういう気遣いは嬉しかったんだけどね、もっと別の所に気を遣って欲しかったね~。
気を取り直して街を歩いてみる。・・・何もない。
っと、ここでケニア、ウガンダでも会った「ミツル」くんと路上で偶然に再会。ホテルを探しているがどこも高くて困っていると言っていたので、僕のホテルに案内し同じ部屋にチェックイン。ツインルームのダブルユースで1人5000フラン(871円)になった。
ムランビ虐殺記念館へ
早速ミツルくんとムランビ虐殺記念館へ向かう事にした。街の中心部にある「HORIZON社」のバスターミナルでニャマガベ(旧名ギコンゴロ)行きのチケットを購入し満席になるのを待つ。(500フラン=87円)
※後に紹介する「VOLCANO社」でも同一料金で行ける
1時間半ほどでニャマガベ(旧名ギコンゴロ)に到着し、ここでバイタクに乗る。バイタクで10分位はかかるので歩いたら40分位はかかると思う。
ムランビ虐殺記念館に到着。
山の中にあり、帰りのバイタクを見つける事は不可能な感じがしたのでバイタクの運転手に交渉し待っててもらう事にした。英語は全くと言って良いほど通じないがなんとかなるもんで、結局往復1500フラン(261円)で交渉成立。
これが数多くの資料が展示されている建物。
ここはもともと学校だったが1994年4月に虐殺の現場となりその惨禍を伝える為に記念館としたようだ。
詳しくはWikipediaより↓
ムランビ虐殺記念館
この建物は元々ムランビ技術学校(Murambi Technical School )と呼ばれる学校であった。
ルワンダ虐殺が始まった当初、この地域に住むツチは地元の教会に避難しようとした。しかし、“丘の上の学校に避難すればフランス軍の保護が受けられる”という市長と教会の司教の言葉に欺かれ、ツチらは学校へ隠れることになった。
1994年4月16日、唐突に水や電気の供給が停止された。この時点でおよそ6万5000人のツチが学内に避難しており、食料も水も不足する中、避難民らは自衛のために投石用の石を数日かけて拾い集めている。
しかし4月21日の夜半、フランス軍が唐突に姿を消すとともに、学校はフツ系過激派民兵のインテラハムウェの襲撃を受けた。約4万5000人のツチが校内で殺害され、この日の虐殺を逃れた者の内の大半も、翌日に近くの教会へと逃れようとしたところを殺害された。
現在、ムランビ技術学校の校舎は虐殺記念館として使用され、被害者数千人分の頭蓋骨とミイラ化した遺体が展示されている。なお、ルワンダ虐殺にフランス政府が加担していたとの主張が、2008年にルワンダ政府によりなされている。
抜粋:Wikipedia
4万5千人の人が虐殺された現場・・・
女性も子供も、老若男女関係なくここで虐殺された。考えるだけで気が重くなる。
無数の死体が遺留品が出て来たとされる穴。
資料が展示されていた建物とは別の建物に行くと、そこには無数の頭蓋骨やミイラが転がっていた。
ガラスケースなどに整然と並べてある訳ではない。頭蓋骨もミイラも手を伸ばせば触ることさえ出来るそんな場所に無造作に積み重なっていた。
とても重い空気でその部屋に入る事は出来なかった。
入口から眺めるだけ。その凄まじい惨禍をただただ無言で眺めていた。
その多くは頭蓋骨を斧で割られたような痕が残っていたり・・
手足が切断されたミイラであったり・・
そして何より忘れられないのはその場所の臭い・・・死臭だ。
思い出すだけでも気持ち悪くなる、嗅いだ事のない臭い。
今回、内部の写真撮影は禁止という事だったので写真を撮っていないが、担当者によっては
“この場所で起きた悲劇をより多くの人に知ってもらいたい”
という理由で写真をOKする場合もあるようだ。
そんな写真を見てみたいという物好きな人の為にこちらのブログを紹介します。
[browser-shot url=”http://isshu-sekai.com/2009/03/220th.html” width=”200″ height=”150″ alt=”※写真に注意!虐殺記念館(ジェノサイドメモリアルセンター)!遺体のミイラ保存!被害者の多くは子供@ギコンゴロ(ルワンダ)” target=”_blank”]※写真に注意!虐殺記念館(ジェノサイドメモリアルセンター)!遺体のミイラ保存!被害者の多くは子供@ギコンゴロ(ルワンダ)[/browser-shot]
キガリの虐殺記念館でも、十分過ぎるくらい重い気持ちになったというのに、この場所はそれを遥かに超える重い気持ちとなった。
ルワンダからブルンジへ
2泊したフイエ(旧名ブタレ)から次に向かうのはお隣の国ブルンジの首都「ブジュンブラ」
虐殺記念館の帰りに「VOLCANO社」のバスターミナルへチケットを予約しに行った。翌朝9時発で6000フラン(1045円)。
このブジュンブラ行きのバスはキガリから乗ってもここフイエから乗っても料金が変わらないのでちょっと損した気分になる。
場所は街の中心部にあるガソリンスタンド「Kobil」に隣接されているのですぐに分かる。「Mobil」ではありませんよ~。
翌朝、宿に併設されている「inzozi nziza」というカフェで朝食を取る。チャパティwithアボガド&エッグ(1000フラン=174円)
このカフェ、欧米系の経営者のようで小洒落たものを出す。バナナのケーキと名物のアイスクリームも注文し合わせて900フラン(157円)。なかなかイケル味☆
そんな訳で無事9時のバスに乗り次の国「ブルンジ」へと向かいました☆
【地図】
赤・・・MOTEL DU MONT HUYE
青・・・HORIZON社バスターミナル
黄・・・ムランビ虐殺記念館
緑・・・VOLCANO社バスターミナル
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