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キガリ|100日間で80万人が殺害されたルワンダ虐殺の悲劇を追う

ホテルミルコリンズ

前回の更新から約2週間も空いてしまいましたが、引き続きルワンダの記事になります。

今回は世界中を震撼させた悲劇「ルワンダ虐殺」がどういうものだったのか?実際に虐殺の舞台となったホテルやミュージアムを巡って勉強してきました。

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目次

ルワンダ虐殺とは?

ルワンダ虐殺とは?

ルワンダ虐殺は、1994年にルワンダで発生したジェノサイドである。1994年4月6日に発生したルワンダ大統領のジュベナール・ハビャリマナとブルンジ大統領のンタリャミラの暗殺からルワンダ愛国戦線 (RPF) が同国を制圧するまでの約100日間に、フツ系の政府とそれに同調するフツ過激派によって、多数のツチとフツ穏健派が殺害された。正確な犠牲者数は明らかとなっていないが、およそ50万人から100万人の間、すなわちルワンダ全国民の10%から20%の間と推測されている。

ルワンダ紛争の末期に発生。ルワンダ紛争は、フツ系政権および同政権を支援するフランス語圏アフリカ、フランス本国[3][4]と、主にツチ難民から構成されるルワンダ愛国戦線および同組織を支援するウガンダ政府との争いという歴史的経緯をもつ。ルワンダ紛争により、国内でツチ・フツ間の緊張が高まるとともにフツ・パワーと呼ばれるイデオロギーがひろがり、「国内外のツチはかつてのようにフツを奴隷とするつもりだ。我々はこれに対し手段を問わず抵抗しなければならない」という主張がフツ過激派側からなされた。1993年8月には、ハビャリマナ大統領により停戦命令が下され、ルワンダ愛国戦線との間にアルーシャ協定が成立したが、その後もルワンダ愛国戦線の侵攻による北部地域におけるフツの大量移住や、南部地域のツチに対する断続的な虐殺行為などを含む紛争が続いた。

1994年4月に生じたハビャリマナの暗殺は、フツ過激派によるツチとフツ穏健派への大量虐殺の引き金となった。この虐殺は、フツ過激派政党と関連のあるフツ系民兵組織、すなわちインテラハムウェとインプザムガンビが主体となったことが知られている。また、虐殺行為を主導したのは、ハビャリマナ大統領の近親者からなるアカズと呼ばれるフツ・パワーの中枢組織であった。このルワンダ政権主導の大量虐殺行為によりアルーシャ協定は破棄され、ツチ系のルワンダ愛国戦線とルワンダ軍による内戦と、ジェノサイドが同時進行した。最終的には、ルワンダ愛国戦線がルワンダ軍を撃破し、ルワンダ虐殺はルワンダ紛争とともに終結した。

抜粋:Wikipedia

※ジェノサイド・・・民族、人種などの抹殺を目的したもの

 

要するにフツ族という民族がツチ族という民族を抹殺する為に行った大量虐殺なのです。

しかもただ命を奪うだけでなく、手足を切れ味の悪い刃物で切り落とすなどした上で殺害したり、女性に関しては性的暴行を加えた上で殺害が行われた。さらには幼い子供までもが大人と変わらずに殺害されていたという。

 

恐ろしいのは、これが戦争ではないという事。

軍や兵士が殺害を実行していたのではなく、昨日まで普通の生活を送っていた庶民がこれを行ったという事。

民族が違ければ親戚であっても友人であっても隣人であっても殺害の対象になったという。

ホテル・ルワンダ(現ホテルミルコリンズ)

映画「ホテル・ルワンダ」を見た事がありますか?ルワンダ虐殺を扱った2004年に制作された映画です。

映画「ホテル・ルワンダ」の概要

1994年、ルワンダで勃発したルワンダ虐殺によりフツ族過激派が同族の穏健派やツチ族を120万人以上虐殺するという状況の中、1200名以上の難民を自分が働いていたホテルに匿ったホテルマン、ポール・ルセサバギナの実話を基にした物語である。フツ族の過激派はツチ族反乱軍によって排除されるまでのおよそ100日間に約80万人の人々を殺害した。映画の最後に映し出される文章によってフツ族の将軍など虐殺の指導者達が裁かれたことが示される。

抜粋:Wikipedia

 

僕は名前は知っていたけど見た事はありませんでした。しかしエチオピアで知り合ったバックパッカーがこの映画のデータを持っていて、その時にデータをもらう事が出来ました。

 

そんな訳でルワンダに着く前にこの映画を見る事が出来ました。

泣きました。久しぶりに映画で泣きました。

 

虐殺の危機に晒された難民をホテルに匿えば自分の家族にまで危険が及ぶ。その為、始めは自分の家族を守る事しか考えていなかったホテル支配人のポールだったが、やがてホテル支配人としての責任からいかなる状況であってもホテルの格式を保ち、客の安全を守る事を決意し、家族へ危険が及ぶ事を承知の上で約1200人もの難民を匿った。

 

その複雑な心境の変化や決意に涙が込み上げて来ます。中でも、幼い妹を抱えた少女が「お願い殺さないで!ツチ族をやめるから!」と最後の言葉を残して殺害されたというシーン・・・心に突き刺さりました。

 

映画の内容についてはこの辺にして、そんな「ホテル・ルワンダ」が現在でも名前を変えて営業をしているんです。

その名も「ホテル・ミル・コリンズ」

ホテルミルコリンズ

 

現在4つ星ホテルとして営業中で高くて宿泊は出来ないので、Wi-Fiサクサクでお洒落なロビーでビールを飲んで来ました。

ホテルミルコリンズ

 

「タンゴ」というビールを使ったカクテル。シロップが入っていて少し甘いんですがめちゃめちゃ美味かったです!ビールが苦手な人でも飲めると思うので是非(4000フラン=約700円)

ホテルミルコリンズ

 

宿泊者専用のプールもありプールサイドでお酒を飲む事も出来ます。映画の中では難民にプールの水を配っていたのを思い出しました。

ホテルミルコリンズ

 

映画で見た「ホテル・ルワンダ」の面影はもう残っていないけど、駐車場にはモニュメントがありました。

ホテルミルコリンズ

 

「ホテル・ルワンダ」決して明るい気持ちになれる映画ではないけど、見た事のない人は是非見てもらいたい映画です。

庶民が庶民を殺すという事の恐さ。

隣人に明日殺されるかもしれないという恐怖。

 

そんな虐殺の悲劇がたったの20年前に起こった出来事だとはとても信じられません。

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キガリ虐殺記念館(ジェノサイドメモリアルセンター)

 このルワンダ虐殺を知る上でもう1つ訪れたかった場所、それがキガリ虐殺記念館(ジェノサイドメモリアルセンター) 

宿周辺からバイタクで500フラン(約87円)で行く事ができます。

キガリ虐殺記念博物館

 

ここでは僅か20年前に起こったルワンダ虐殺を忘れない為に、数多くの資料が展示してあります。虐殺に関する説明の他、虐殺にあった人々の写真、身に付けていたもの、さらには大量の頭蓋骨までありました。

入場料のようなものはありません。寄付を受け付ける箱が置いてあるので最後にそこにお金を入れます。写真撮影はお金を払えば出来るようでしたが、今回は撮影していないので内部の写真はありません。

 

キガリに訪れる際は是非「ホテル・ルワンダ」を見て、ここに書いた「ホテル・ミル・コリンズ」と「虐殺記念館」に行く事をオススメします☆

 

【地図】


赤・・・ホテル・ミル・コリンズ
青・・・キガリ虐殺記念館
黒・・・ホープゲストハウス










 

 

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